〈※本記事は、2015年4月にフィールドに訪れた際のアーカイブレポートになります〉
「世界最高峰」この言葉は様々なシーンで表現されますが、伝統のある物語を感じさせてくれます。地球上で最も宇宙に近い世界最高峰から見上げた空、見下ろした地平線はどんな光景でしょう。ローツェ峰から眺めた世界最高峰は、どんな山容なのでしょうか。想像が山のように膨らんでゆきます。
エベレストのベースキャンプへ続くエベレスト街道での楽しみは、眺望だけではありません。高所順応を兼ねてのトレッキング、次々と面白いものに出会えます。ゆっくりと歩く我々を、荷物を載せた車?が次々と抜かしてゆきます。日本ではなかなか見られない光景を愉しみます。「仕事の邪魔しないでね、危ないよ、どいてどいて・・・ 」という涼しい表情で通り過ぎてゆきます。
この標高でも日差しは暖かく、シャツ一枚で歩ける心地よいこと。エベレストの麓にも春が訪れていることを、花々が教えてくれます。ひとつひとつきれいな花を撮っていては先が続きません。登山者であることを思い出します。
しかし、満開の桜に出会ってしまったら足は再び止まり、お花見の始まりです。日本の派手な桜並木ではありませんが、一本一本が愛おしく感じます。標高に関係なく、登山は常に危険が伴います。その行き先が、世界最高峰なら、その言葉は強調されます。帰りも同じ街道を通ることから、桜を眺めながら、チーム全員が無事に下山して、その頃には新緑の葉桜になっていると思われる同じ樹を、再び眺めたいと想います。
世界中の先鋭たちが挑戦された、数十年前のエベレスト遠征と現在の登り方は全く異なります。登山装備も格段に進歩しています。優秀で頼もしく、強靭なシェルパたちのおかげで格段に登りやすくなった時代ではありますが、標高8,000mの世界は、現在でも「デスゾーン」とも呼ばれる恐ろしい世界に変わりありません。マナスル峰(標高8,163m)の山頂直下で、酸素マスクのトラブルに見舞われ、マスク外しての下山はなかなかの体験でした。
標高8,000mの世界に再び向かっている嬉しさと怖さを背負って、ゆっくり歩き続けます。一歩進むと、エベレスト山頂に一歩近づいていることに嬉しくなります。そんな我々を、住民の皆さまが迎えてくれます。
癒されます・・・。
子どもたちも家の中から出てきてくれました。何を話そうか考えている間に、「これ、いいでしょ!」と何やらお気に入りのオモチャの遊び方を教えてくれました。
日本と同じアジアの春、ここは日本と思っても不思議でない風景に度々出会います。観光地ではない、日常生活での風景に心が動かされます。
暖かい春の陽気とはいえ、吹く風には肌寒さを感じますが、楽しそうに髪を洗っている光景に心は温まります。
その横では洗濯です。日本での炊事洗濯も大変ですが、こちらでの大変さとは比べられないのかもしれません。
静かな街道を黙々と歩きます。
「ここお店?」と思うような、とてもかわいい売店に時々遭遇します。店員さんを呼んでも、返事は聞こえてきそうにありません。
エベレスト街道歩き、少しずつではありますが標高が上がってゆきます。大きな荷物を背負う、青年たちが休んでいます。
日本でしたら有名な観光地になりそうな、長いつり橋を渡ります。ヒマラヤ登山に憧れ始めた頃から、遠征隊のドキュメンタリー番組を欠かさず見ていました。放送されていた同じつり橋を眺め、橋ひとつに「本当にここまで来れたんだ」と純粋に嬉しくなりました。
が、番組通り、心もとない華奢な作りだけでなく、橋を固定している岩壁のもろさから、高さへの恐怖が増幅されます。つり橋の端っこまで来た時、準備していたカメラのシャッターを、ようやく切ることが出来ました。
宿から宿への旅は、まだまだ続きます。