「いつかは8,000m!」 登山を始めた高校1年生からの、自分自身への合い言葉。アフリカ大陸、南米大陸、ヨーロッパ大陸、北米大陸への遠征を経験し、いよいよアジア大陸・ヒマラヤ8,000m峰に挑戦です。
ヒマラヤ・世界第8位高峰マナスル峰(8,163m)遠征 vol.1は こちら
昨晩の宴は何時まで続いたのでしょうか。ビール瓶の山です。相当酔っていたようですが、しっかりと片づけてからお開きされていました。本日中にサマ村からヘリでカトマンズへと戻る予定ですが、その計画は天候次第。空港を飛び立って、こちらに向かっていても途中の視界の悪さから飛行が困難と判断されれば引き返します。
ヘリに搭乗が可能かはサマ村到着直前に分かるため、すぐに乗り込めるよう準備だけして気長に待機。天候は曇天。回復する気配もありません。今日の搭乗か、それとも数日後の搭乗か、誰にも分かりません。「何もしないで過ごす」ことには遠征生活で慣れています。時間がゆっくり過ぎるのを贅沢に満喫します。
ヘリが間もなく着陸するという知らせが突然入りました。まだ数日間はサマ村で過ごすことを密かに期待していたため、少し名残惜しい気持ちです。小川のせせらぎの音しか聞こえない、牧歌的な風景に全く合わない、ヘリの爆音が峡谷を響かせながら接近してきます。大きく旋回しながら高度を下げる様子に、石造りのサマ村の建物とヘリがミスマッチです。ヘリは峡谷内を飛行するため、天候が悪化して視界が悪くなったら危険です。
手際よく個人装備をヘリに載せ終わると、慌ただしく離陸準備が始まります。お世話になったシェルパたちともお別れです。エンジンの回転数が上がるにつれ気持ちもやはり高ぶりますが、短い挨拶に気持ちを込めます。
サマ村に向かう時はヘリから見える風景を撮影し続けましたが、帰りはカトマンズに向かう街道、棚田、農村に暮らす人々の様子を、上空からゆっくり眺めます。およそ60年前、日本山岳会がカトマンズからサマ村に向かった時、キャラバン隊が歩いたと思われる街道を眺めながら、当時の大変さを想像します。言うまでもなく、同じ登頂でも大変さ、困難さは比較にもなりません。
空港から小さなホテルに直行します。個人装備を部屋一面に広げて、早速帰国の準備です。遠征の終わり(撤収)は、次回の遠征の始まり(準備)でもあります。飛行機の帰国便の搭乗チケットを手配しながら、仲間たちと「次のヒマラヤ、どうする?」「次のヒマラヤ、いつにする?」と、いつもの会話がカトマンズの現地で、当たり前のように始まりました(ヒマラヤ山脈・マナスル峰遠征篇おわり)。