「いつかは8,000m!」 登山を始めた高校1年生からの、自分自身への合い言葉。アフリカ大陸、南米大陸、ヨーロッパ大陸、北米大陸への遠征を経験し、いよいよアジア大陸・ヒマラヤ8,000m峰に挑戦です。
ヒマラヤ・世界第8位高峰マナスル峰(8,163m)遠征 vol.1は こちら
BCは、テントでのシュラフ生活ですが、とても居心地が良く落ち着きます。日本でのキャンプとは違い、日常生活そのもの。長く滞在しているので、テントに入る時、「ただいま!」と言いたくなる我が家のようです。
登山技術と直接結びつくことではありませんが、BCで寛げる心持ちは、ヒマラヤ遠征では大切なスキルのように思います。昨夜は曇天のため星は見えませんでしたが、夜が明けてゆく様子を眺めて過ごします。
今日も天候は良くありません。BCは明け方の降雪で再び雪国です。登頂した10月2日は、ワンチャンスだったことが改めて分かります。短い秋季の登山シーズンを終え、このまま一気に登山者を寄せ付けない冬季へ向かうような気配です。
BCに帰って来ても登頂した実感が湧いてきません。このBCでも雪崩の被害が遭ったことが過去の遠征隊の記録に残っています。BCからサマ村まで戻る間に、何が起きるかも分かりません。気持ちはまだ引き続き緊張感を持って過ごすよう言っていることに頼もしく思います。ここはヒマラヤ標高4,850m。登山の緊張感を終わらせるのは、早過ぎました。
シェルパが、洗顔用にお湯を用意してくれました。我が家の浴室です。貴重なお湯で顔を洗わせていただきます。高級老舗旅館の源泉掛け流し名湯、五つ星リゾートホテルのジェットバスでも、このマナスル峰大展望露天風呂(洗面器個人浴槽)の魅力とありがたさには到底かないません。お湯(風呂)が、水(プール)になるまで、シェルパたちに感謝しながら入浴します。
今日は休息日。ゆっくり時間をかけて、BC撤収作業を始めます。仕事を終えた登攀装備も、ハーネスから外す時が来ました。現地解散です。
とても静かなBC。賑やかだったキッチンテントにも誰も来ません。暇なので日本から持ち込んだ書籍、西堀栄三郎さんの「南極越冬記」を一気に読みます。数週間前、植村直己さんの「エベレストを越えて」を読み終えた時と同じ気持ちになりました。極地で極地の本を読むのはリアル過ぎてどちらも選書ミスでした。おばけが出ると噂されるスポットで、おばけの本を読んだら限りなく怖くなってしまうのと同じ理由です。
BC最後の夜、眠ってしまうのがあまりにももったいないので、キッチンテントでお茶を飲みながら、夜気をひとり楽しみつつ、夜通し起きて過ごすことにしました。曇天でしたが、真夜中の1時間だけ、晴天を期待しながら待機していた私にこっそり星空を見せてくれました。
何の前触れもなく、視界を悪くさせていたガスが数分で消えてゆく様子に、鳥肌が立ちます。マナスル峰最後の夜空、満天の星という表現より星影が美しい煌星というイメージです。山頂を目指してC4を出発する際に眺めた、オリオン座が今晩もきれいに輝いています。
天文を趣味にして40年ほどになります。小学4年生の時、初めてオリオン座を探せた時の衝撃は、今でも忘れられません。星座はいつ眺めても、その姿は何も変わりませんが、それを眺めた時の記憶と思い出のひとつひとつが、その星座に重ねられています。
この星座たちを眺めるだけで過去40年、その眺めた時の年齢と気持ちに、いつでも戻ることが出来ます。昔、聴いていたお気に入りの曲と同じです。星空は、私にとって思い出をつなぐ大切なもの。日本に帰っても、オリオン座を眺めるたびにC4出発時の気持ちにいつでも戻ることが出来ます。何も変わらない星空を、一晩中ひとりで眺め続けても、全く飽きない理由のひとつです。
サマ村に戻れば人間の生活圏、カトマンズに戻れば人間社会、日本に戻れば日常生活が始まります。観光旅行ではないため、BCに滞在する理由は何もありませんが、苦しくて悩んだ分、ここを離れるのは寂しい気持ちになります。同じ目的で世界中から集まった、他の登山隊の隊員たち、ヒマラヤの煌星とも「さようなら」です。
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